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1999年9月

1999年9月23日

今日は盛岡にいます

私はいま,盛岡にいる.

朝,札幌9時46分発の北斗8号に乗り,函館ではつかり22号に乗り継いで盛岡についたのが17時55分.一日中 JR に乗っていた.

当初,フェリーで行こうか,飛行機のパックで行こうかとかいろいろ言われていたのだが,旅行手配係となった私が,たまたま JR のツアーデスクにわざわざ出向いて盛岡までの切符の値段を聞いたところ,たまたま,この時期に(というか,9月いっぱいまで)『北東北フリー切符』というのがあるということが判明し,JR で行くことになったのである.(この切符,時刻表にも載ってなかったし,JR北海道のホームページにもなかったし,生協旅行部の人も知らなかった)

途中,北斗号は人が多かったものの,はつかりはガラガラで,私が4つの座席を1人で使っていた.(向かい合わせにして前の席に足を上げていたのである)通路を挟んで隣では同行の教授と助手の方がそれぞれ2席分を使っていた.教授というのが研究室のボスであるのだが,怪しげな理論をときどきのたまうのですこぶる面白い.今回,車内で「パネル式のポインティングデバイス健康に悪い説」(用語集参照のこと)を振りかざしていた.

地理感覚ゼロの私は今日初めて千歳が札幌の東でないのを知り,長万部がどこにあるのかを知り,森が函館の東でないのを知った.

盛岡についたときにはすでにあたりは暗かった.しかし,気温は寒いと言うほどではなく,さすがに札幌との違いを感じる.(札幌はもう夜,寒い)

今日は祝日なわけだけど,平日と顔をつき合わせている人物が同じ上,同じ大学の別な研究室の人間にも会うもんだからちっとも休日な気がしない.

さて,ホテルへの道は昨日抜かりなく調べておいたので,あたかも知った道であるかのように先生方2人を案内し,賞賛を浴びた.(ふふーん)

一度荷物を置いてロビーで待ち合わせてから夕飯を食べに行こうということになった.私は待ち合わせ時間までにホテルの人にで明日の宿がどこにあるかをしっかり聞いておいた.(同じホテルが取れなかったのである)

ロビーに行って見ると,助手の方も私と同じように印をつけてもらった地図を持っているので,てっきりホテルを聞いたのかと思っていたら,言うことは「ここが繁華街だって」.もっと大事なことがあるだろう! と心の中でつっこんでおいた.

3人でウロウロしててきとうなところで御飯を食べた.盛岡は内陸にあるので魚介類を食べる意味ってあんまりない気がするし,いくらならなおの事である.(北海道のほうがいいだろうという意味である)

ホテル近くのコンビニで助手の方が立ち止まり,「ビール買う?」

3人で助手の先生の部屋に集まり(シングルを3つ取っていた),野球中継を見ながらビールを飲んだ.

いまどきホテルなんかは普通の TV 放送はただで見られるが,昔はお金を入れるものが多かった,という話になった.

ボスが言うには「だから,針金持っていって配線してやるとただで見られた」.

なんでも,アンテナの配線を入切するタイプと電源を入切するタイプがあるんだそうだ.

「縫い針を持って行ってやったんだけど,電源のタイプで+と-が分からなかったから50%の確率だってんで,エイや! とつけたらそのとたんバチバチって火が吹いて縫い針が溶けちゃったときがあった」

ボスは縫い針を持ち歩くタイプには見えないからそのために縫い針を持って行ったんだろうなぁ.

それを聞いていた助手のM先生

「ああ,そういえば,合宿で免許を取ったとき配線しなおして半月無料で見てましたよ」

帰る時はちゃんと配線を元に戻しておいたそうである.

ちょっと聞きたいんですが,これは昔の人はみんなやったことなんだろうか.それとも,うちの研究室の特徴なんだろうか.

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1999年9月24日

今日は毛越寺に泊まっています

今日は早めにホテルを出る.……はずなのに先生方2人が待ち合わせの時間にロビーにこなーい.

空は快晴,札幌から出てきた身には暑くてしょうがない.最高気温は27度だって天気予報でも言っていたなぁ.

道すがら,助手のM先生は途中で御飯を食べていけばいいよ,と言うのだが私にはとてもこんな時間(8時ごろ)に食事ができそうな店がありそうに思えない.M先生は横浜出身の上,あとは札幌にしかいた事がない,つまり大都市の様子しか見てないわけで,その辺の鼻はきかなそうだ,と私なんかは思うわけだ.

だから「ありますかねぇ」と言う私にM先生は「そりゃ,あるよ」

でも,実際,食べられる店はみすぼらしい店が一軒のみだったので会場についてからM先生もさすがに「たしかに,なかったね」と認めていた.

最初は一緒にいたんだけど,ボスとM先生にあっさり置いて行かれた!

そんなわけで,私は2人がどこに行ったかも分からず,まぁ,いいか,と観光モードに突入する事にした.

まずは岩手大学内部から始める.

岩手大学は旧盛岡農林学校だったそうだ.その建物が一部残っていて,それが重要文化財だったりするのだ.このあたり,北大が札幌農学校だったのと似ている.

ぜーんぜん観光資料とかは調べてなかったから,学会の総合受付に行き,先着1000名に配られる盛岡観光のパンフレットをもらう.

おやおや,農林学校って宮沢賢治がいたんだ~.そーいやこの辺の人だったし農業な人だったし,理系な人だったよな,彼.

資料館になっている旧農林学校の建物で入場券も買わずにちゅちゅちゅと入ってきちゃった.宮沢賢治関連の資料,けっこうたくさんある鳥の剥製コレクション.それから……なんや,梅宮林太郎さんもここにおったんか!(世界で始めてビタミンを精製した人ね.まぁ,彼はオリザニンと呼んでいたんだけど)

ここまでで13時近くになったし,そろそろ食事でも,と思い,ここは本場の盛岡冷麺をと思って近くのお店に行ってみたら,むちゃむちゃ混んでやがんの.注文はなかなか取りに来ない,来たと思ったら無視されて,向かいに相席になった人が見かねて,おばちゃんに言ってくれなかったらいつになった事やら……

盛岡冷麺ってのは韓国からのもんなんだってね(これは友人のNKが教えてくれたので知っていた).盛岡に来て不思議だったのは「焼肉・冷麺」とセットになった看板が多い事.えー,焼肉に冷麺かよー,と思ったんだけど実際,そういうセットのメニューがある.

私もそれを頼んで,おいしいおいしい,と食べてたはいいんだけど,焼肉についていた緑色の唐辛子,これが大当たり.バクバク食ったら鼻水が出てきたような気がして,おや?と思ったら次には涙が出てきた.舌はびりびりして我慢ならない.いそがしく動いている給仕さんを捕まえる時間ももどかしく,勝手にコップに水を入れて持ってくる.同じ行動を取っている人が何人もいたので,きっと同じ目にあっていたのだろう.(笑)

あとで平泉のガラス博物館のおっちゃんが焼肉食った後に冷麺でしめるのだ,と教えてくれた.すきやきの後のうどんのようなもんだろうか.

ここでもたついて14時になってしまった.さらにちこっともたついて,どこも見てないのに盛岡駅についたのが15時ごろ.次の宿は平泉にとっていて,17時に行くと言っていたので盛岡観光はあきらめることにする.

さて,盛岡駅の地下にからくり時計がある.これ,場所が悪くて,普通に歩いていて気づく人ってほとんどいないのではなかろうか.ちょうどなる少し前ぐらいに気づいたので眺めていたら,はじまった,はじまった.各国の子供たちが出てきて楽器演奏・歌を披露するというもの.たぶん,姉妹都市を選んでいるのだと思う.曲目はオリジナル曲と「マーチングマーチ」だというので,なんだろうと思っていたら,「マーチったらチッタカター」で始まるあの曲.……なんでこれなんだ! わかんねーぞ,盛岡! この周りの店の人って日々これを聞かされているのか……

さて,それを眺めた後,緑の窓口で時刻表を調べ,時間が迫っている事を知って慌てて飛び乗るは東北新幹線・やまびこ18号.実は掲示板で「18」という字を見て,18番ホームなのだと勘違いし,「11から14までしかねーぞ,どーすんだー!」などとボケた事をしていたのでほんと,ぎりぎりに駆け込み乗車した.

これだと次の駅が一ノ関なのね.15時16分盛岡発で,一ノ関着が15時44分.ちょっと時間あるなーと思ってパソコンでたまっていたメールにざっと目を通していたのだが,20分もしないうちに酔いはじめの兆候がでてきたのでやめる.

一ノ関で降りると,今度は普通電車に乗って2つ戻れば平泉.何線なのか知らないけど,盛岡行きに乗れば間違っちゃいねーだろうと,その電車に乗りこむ.

そういや,不思議だったんだけどね,どうして東北の電車は自分でドアを開けるようになってるの? 仙台に行ったときもそうだったし,ここでもそうだった.

電車に間違いはなく,16時に出発した電車は10分程度で平泉へ.駅前の観光案内所でパンフをもらい,とことこと宿である毛越寺へ.

平泉というところは店らしい店がほとんどなく,なんとなーく,高岡だったかそっちのほうの瑞龍寺に似ていた.とちゅうの観自在王院跡というのはほんとなんもないところで,青々とした草が広がっていて,長椅子が数脚あるのみ.こういうとこ,好きなんだよね.

途中のガラス博物館(自体じゃなくて入場料の要らない付属のお店のほう)に入ったら,おっちゃんがやたら話好きな人でけっこう時間がたった.毛越寺のユースに泊まるのだと言ったら,「あ,じゃあ朝早く起きて座禅を組むんだ」と言われた.ま,待ってくれぇ! そんな話,聞いてないぞ~!

後でユースの人と喋っていたときに,毛越寺の年間行事の話になって座禅は7月から9月の10日までの行事で有料なんだけどユースに泊まった人は無料だ,ということだそうだ.ちなみに,ユースに泊まると毛越寺の拝観料も無料である.

平泉というと「中尊寺」しか知らなかった無知な私.「毛越寺」を思いっきり「けえつじ」などと読むのだと勘違いしてました.正しくは「もうつうじ」.読めねぇって,普通.

でも,そういえば来る前にボスが「平泉の "もうつうじ" でも見に行くか」と言っていた.だから,普通の人は知ってるのかと思ったら,ボスは修学旅行で来たんだそうだ.しっかし,金沢からここまで修学旅行で来るもんかね.

毛越寺は知らないくせに,平安貴族の衣装を着た人が小川のそばに間隔を置いて座って,和歌を読んでは小川に流すとかいう行事は知っていた.この行事が行われるところこそ毛越寺で「曲水の宴(ごくすいのえん)」と言うのだそうだ.

宿泊所についてみると外人さんと受付のおじさんがもめている.おじさん,英語がワカンナイのだ.しょーがないので横から片言の英語で口を出す.そのせいで,この後,さんざん通訳代わりに使われた.

ちなみに,おじさん,私の事を名前に「ちゃん」付けで呼んでくれやがる.いやね,予約の電話入れた時にさ,名前を名乗ったら「あれ?男だよね?」とか言われて「いえ,女です」っつったら「あ,こりゃ大変失礼しました,今度からSousuiちゃんって呼ぶからな」と宣言されちゃったんだよね.

夕飯は頼んでいなかったので食べに出る.といっても,ほんと,店がないんだよね.しょうがないから昼に引き続きまたも韓国料理(なんでこのあたり韓国料理なのかなぁ).韓定食ってのを食べた.ボリュームもあっておいしかった.

ちょっとぶらぶらしようかなぁと思ったんだけど,あたりは真っ暗.真っ暗なだけならまだしもポツリポツリと雨が降ってきたので早々に宿に帰る.お風呂が大きくて気持ちよかった.

明日は平泉を見て回った後,盛岡にとって返してそこに泊まろうと思ってユースに電話してみる.昨日の例もあるので愛想いい声を出すように心がけてしゃべる.

Sousui
明日1人泊まりたいんですけど,空きはありますでしょうか.
ユースの人
はい,分かりました.お名前をどうぞ.

名乗る.難しい名前でもないのに向こうでなんかうなっている.

ユースの人
男性ですよね.
Sousui
……女なんですけど.
ユースの人
あ,申し訳ございません.女性の部屋は埋まっているんですよ.今,物理学会というのがありまして.

恐るべし,物理学会!

そういや,昨日,ボスが学生の頃ユースを使っていたという話をしていた.

ボス曰く「ミーティングってのがあるんだけど,そんな席でなんで来たのかって言われて『学会で来た』なんて言っちまうとしらけるんだ」と言っていたっけ.

しょうがないので,盛岡観光はあきらめ,雫石YHを狙う.市外局番なのでテレホンカードの度数がどんどん無くなる,無くなる.それにおびえながら話す.

Sousui
明日,泊まりたいんですが,空きはありますでしょうか.
ユースの人
はい,ありますよー.男性1名ですか?

だーかーらー!!

結局,そこは取れたんだけどね.よく考えたらユースの人に電話で女だって分かってもらえた事ないや.大阪に行ったときもそうやったし.

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1999年9月25日

平泉にて歴史を感じ,雫石に田舎を感ず

夜の間に台風は行ってしまったようで,その日は朝から快晴だった.

朝食を取りに食堂へ行くとカナダから来たという外人さんが先に御飯を食べていた.YHのおじさんはすこぶる御機嫌でサービスに納豆をくれるというのでありがたく2人でいただく事にする.

その外人さんは納豆はさすがに知っているものの,かき混ぜるときに醤油をつけないあたりよく知っているというわけではなさそうだった.先に言ってやればいいのに気づいたのが御飯にのせちゃった後だったので結果的に謎な納豆の食い方を教えたことになる.ええい,私のせいじゃないやい!

さて,せっかくなので平泉観光は毛越寺から始める事にする.ユースに泊まった人は拝観料がタダだしね.あ,ちなみに入って右手の奥に無料コインロッカーがあります.

この毛越寺というお寺,実は頼朝の頃に焼け落ちており,建物は最近のもの.しかし,庭園などの造りは平安時代そのままだそうで,実際,大きな池のある美しい庭でした.散歩にはとてもいいですね.ここで絵葉書を買い,祖母と両親に手紙を書いて毛越寺を後にする.

それからひとまず手紙を出すためとお金を下ろすために郵便局により,荷物を預かってもらうために平泉駅へ.駅のそばのお店に「荷物預かります」という看板が出ていたのは昨日チェック済みなのだ.

荷物が軽くなったところでさっそく観光開始.めざすは中尊寺方面.なんかねー,YHのおっちゃんは平泉なんて毛越寺と中尊寺見たらおしまい,みたいな口ぶりで午後は一ノ関で遊んでくるといいよと言っていたんだけど,歴史好きな私にとって平泉って憧れの地であり,きっと一日かかるだろうなぁと予想はしていた.

さて,弁慶の墓というのを探してたったか歩いていくと,夢館というのがあるという.蝋人形館らしい.興味を覚えて坂を登っていくとありました,夢館.

入ってすぐのところで饅頭を作っているおじさんに呼びとめられ,作ってる途中の饅頭をちぎって渡される.こういうのにすこぶる弱く,おもわず一箱買ってしまう.こいつは研究室へのお土産にしよう.

気を取りなおして夢館へ.奥州藤原氏にまつわる名場面を蝋人形を使って再現したという形式で,こういうのが好きな私はおもわず見入ってしまい,午前中はここで過ごす.蝋人形だけでなくホログラムとか和紙の人形なんかもあった.

えーっと,私が一人旅が好きな理由の1つって,こういうとこに入るとじっくり見てしまう事に加え,いちいち感激して涙を浮かべ,悲しみに沈んで涙を浮かべしてしまうからなんですが,今回もやっぱりやってしまいました.

そういえば,大阪城でもこういう名場面を再現して説明を加える系な展示物があって,そりゃあもうじっくり見てしまいましたっけ.

さて,出てきてお昼御飯.YHのおじさんが「蕎麦を食べるといい」と言っていたので.坂を降りたところ,国道4号線の傍らにあった『地水庵』という蕎麦屋に入る.中は木造,畳,木の机.一番奥に腰を降ろし,1日に10枚しか作らないという古典蕎麦を頼んでふと目を隅にやると……あの積み上げてある座布団の上にのってるの……猫?

そう,黒猫が紺色の座布団の上に丸くなっているのである.おもわず,蕎麦が来るあいだ,そうっとなでさせてもらった.その後,入ってくる人,入ってくる人,その猫を見てギョッとするのが面白かった.

腹ごしらえを済ませ,再び中尊寺を目指したところ,みつけました,弁慶の墓.なんだ,中尊寺の入り口(?)にあるんじゃん.

中尊寺は毛越寺と違って観光地,観光地してましたね.お店が並んでいて.すごくまよったけど,弁慶力餅とかいうのを仲のよい物理事務・準備室の方へのお土産に買う.般若心経の書かれた線香というのも気になったんだけど,お寺ならどこでも売ってそうな口ぶりだったので中尊寺独自の香りのよい線香を友達のために買う.

中尊寺はほんと山の上.とちゅう,木炭で絵を書いている人なんかもいました.有名な金色堂は拝観料を払わないと見られない.でも,ここまで来ておいて金色堂見ないのはないでしょう,と,ちゃんとお金を払う.

金色堂はしっかりとガラス張りの内側にあっていっぱい仏像が仲に並んでました.音声で説明が入ります.

白状します.私は金色堂の中にミイラが3体座っているんだとばかり思っていました.(笑) 仏像が並んでいてがっかりしました.

もういっこ白状します.僕が中尊寺というものを知ったのはサザエさんのオープニングで昔出ていたからです.

この頃になるとすっかり疲れきっていて,途中で座ったり餅を食べたりして中尊寺を後にしました.

あとで拝観券を見たら,切れてない切片が! うそー,讃衡蔵,見てこなかった~!

それから,つったかつったか歩いていって高館・義経堂というところに寄る.ここも入場料いるんだけど,たかが100円だし.たかが100円だけある.ちっちゃな建物があるだけ.かの義経はここで自害した……と言い伝えられているんだけど,本当のところは分からないらしい.

また,有名な松尾芭蕉の句,「夏草や 兵どもが夢の跡」もここで詠まれたと言われていて,それの碑もある.そうそう,そこに親子3人と外人さん1人が来ていたんだけど,あやしげな英語で「Summer grass ...」なんてやってたところをみると,説明しようとしていたんだろうなぁ.

高台にあるので北上川やその周りの田んぼのよく見えるところでした.

あとでYHで一緒になった人が言うには時間外に行くと入場券を売っている人がいなくて入りたい放題らしい.

そうして,ブラブラ平泉駅につき,荷物を引き取る前に時刻表を確認するかぁ,と行ってみると,1冊しかない時刻表を眺めている人がいる.この次だなぁ,待つか,と思ってよくよく見ると,これが知った顔.(笑)

「M先生!」

「おお!」

そう,私の直接の指導教官M先生なのでした.そして,私に一言.

「いま JR 止まってるよ」

なにぃぃぃぃ!

なんでも,送電の事故だそうで,新幹線は別から電気を取ってるから動いているとの事.バスで一ノ関まで行けるのでそこから新幹線に乗ろう,と一ノ関行き15時36分のバスに2人して乗る.

どこ見て回った? とかいう話をして,

「じゃ,帰りも28日(=フリー切符の期間が切れる日)にするの?」

と言われた.実を言うと26日にもともとは帰りの指定を予約していたのだが,この一言と先生の口ぶりで遠慮する事ないや,という気になり,28日に帰る事に決める.

16:15一ノ関発の新幹線で盛岡へ.

M先生
今日はどこ泊まるの?
Sousui
雫石のユースです.
M先生
いいねぇ.スキーができる.

まだできませんって.それに,私,スキーできないし.(※M先生はスキーが大好きである)

盛岡着 16:58.

Sousui
じゃ,私は田沢湖線に乗りますんで.
M先生
じゃあね.

と分かれたのに……次の電車,18:00発でやんの.なめてんのか! 予想はしてたけど,やっぱ1時間に1本単位の世界なのね.

しょうがないのでいったん改札を出て,待合室にいたら,本日2人目の知った顔!

同期で他研究室のKである.

Kは今日札幌に帰るという.会ったからにはサルでも使えという格言どおり(そんな格言は無い),荷物を見てもらって,買ってしまった土産ともはや使うあての無い学会用のトラペと概要集を札幌に送り,緑の窓口で指定席の予約を変更して戻ってきて見ると,Kは泣きそうになっている.(笑)

いや,電車の時間が迫ってるんだって.先に言え,そういうことは!

いちおう謝ってKと別れる.彼は無事に帰れたのかしら.

18:00に(たぶん)青森行きの田沢湖線に乗った.私はいっつも不思議なんだけど,どうして東北地方の普通電車って手動で開けるようになってるのかね? 寒いから? でも,札幌はそうなってないよ.おかげで雫石駅でぼーっとしてたら横から手を出されちゃった.

さて,雫石駅でバス乗り場がわからずマゴマゴしていて,こっちかな,と出てみたらたしかにロータリーらしきものがあり,バスが4台いる.

突然ですがね,皆さん.路線バスって言ったらどういう物を思い出します? 私は上に行き先をでっかく表示されたものを思い出します.夜でも見えるような行き先表示がしてあるやつ.

その時,そこにいたバスってのは,私には観光バスにしか見えませんでした.バス停らしき所に横付けになってるのは1台だけだったし.よくよく見たら下のほうに「~行き」って書いてあるような気もしたんだけど,暗いし字も小さめで確信が持てない.さらにここで判断ミス.普通さぁ,バスのロータリーってトコトコ降りて歩いてっちゃいけないよね? よね? 歩いてたら怒られるよね?

なもんだから,私はたとえこれが路線バスだったとしてもバス停に順繰りに横付けになるだろうからそのときに行き先見ればいいや,と思っていた.

18:20.運命の時間.

バスはあっけに取られている私の前で4台とも次々と発車していきました.

取り残されて呆然としている私.

はたと我に帰り,YH に連絡.

「すいません,バスに乗り遅れちゃったんで,これから歩いていきます.2,3時間でつくと思います……」

そうしたら,ペアレントの方は「そこで待ってろ,迎えに行く」と言ってくださった.バス停で1人満月を見ながらおもわず風流を感じてしまいましたとさ.

迎えに来たおじさんに「何で乗り遅れたの?」と訊かれ,事の顛末を述べたところ,

「だから言ったじゃない,ちゃんと行き先確認して乗ってくださいねって」

と言われたのだが……普通さぁ,そう聞いたら「違うバスに乗らないでね」って言うことだと思うよね? ね?バス視認次第,車道に飛び出して即飛び乗れって事だとは思わないよね?

そうして,迷惑をかけつつたどりついたこじんまりとした雫石YH .部屋に通されて,「きゃー,きれー!」と思った(決して叫んだわけではない).フローリングの素晴らしい部屋だったのです.お風呂もそれなりに綺麗でした.

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1999年9月26日

小野・岩崎・井上が寄ると……

雫石YHの朝.陽射しがレースのカーテンを通して入ってくる.ああ,今日もいい天気.回り中に広がる稲穂が金色にゆれている.窓を開けるとほろよく冷えたいい空気が流れ込んでくる.

朝食を食べる.今日は小岩井農場に行くことにしていたのだが,いっしょに朝食を食べていた御仁も歩いて農場に行くと言うので(とちゅう,自転車を借りるつもりだとは言っていたけど)いっしょに行きましょう,と誘う.

ところがだ,ほんとに,いっしょに歩いてるだけ.(笑)

もっとさぁ,会話を楽しむとかないのかね,君は.(苦笑)

タダもくもくと歩くのだ.男性のペースにあわせて歩くのは荷物も多かったしつらかったよ.(その人はもう一泊するというので荷物もたいして持っていなかった)

まぁ,これは私の判断ミスだとあきらめましょう.

彼が自転車を借りに行くなり,私は行く車,行く車に親指をたてて手を上げてぶんぶん振った.まったくもってヒッチハイクなぞ4,5年ぶりだ.数台無視されたが,気のいいおばさん2人組みの車が拾ってくれた.

どうにか小岩井農場の「まきば園」に着いた.

実はこの時点で私の財布の中身は空に着々と近づいており,今日お金を下ろさねば宿泊できないのが確定していた.

しかし,しかしだ.今日は日曜日.

このド田舎でキャッシュサービスをやっているような郵便局があるのだろうか.ちょうど,郵便局が出張しておったので(というか,この頃よくある観光地で切手とかはがきとかを売るやつ)訊いてみた.案の定,「盛岡まで出ればあるんですがね……」ということだった.くそ,許すマジ,ド田舎!

しかも,ここから小岩井駅までのバスというのが11時22分を最後に15時17分までないといきている.私は昨日の雫石YHですっかり懲りていたため,田沢湖駅には日の落ちないうちに着いていなければならないのだと確信していた.

――ま,なんとかなるだろう.(さんざん考えてそれかい!)

さて,まきば園で即,アイスクリームを食べる.たしかにうまい.でもさぁ,北海道から出てきてわざわざ食べるようなもんだろうか.はなはだ疑問である.

ま,まぁ,気を取りなおして羊を触りにいく.顔の黒いのと白いのがいっぱいいた.羊の瞳って蛸みたいだよね,虹彩が四角くてさ.

羊館でお土産を買って,それから体験工房を眺める.人々が並んで一生懸命小ビンを振っているという間抜けな光景が展開されていた.どうやら,バターを作っているらしい.へぇ,バターって人力でできるんだ~.やってみたかったものの,バターの量は多いのにその日のうちに消費しなければいけないというのであきらめた.

次は馬ゾーンに行く.馬に乗るのなんて――よく考えたら始めてじゃないや.大学でも乗った.なんか狭い馬場を一周するので500円ぐらい取られた.これは暴利だと思う.しかも,終わり近くで突然「お疲れ様でしたぁ」と声をかけられたのでそっちを見たら勝手に写真を取られた.これがまた勝手に現像されてまきば園入り口で売られていると来る.1300円なり.暴利だ!

さて,牛の乳しぼりショーと言うのが始まったので眺めていると,牛がやってきた.これがまた「小岩井スタービーチバーブオリンピアード」などというやたら長ったらしい名前である.司会のおねえさんが「ぜひね,覚えて帰ってくださいね~」などと言っていたのだが……覚えられるか!

そういえば,名前で思い出したんだが,馬小屋に「小岩井太郎」という名前の馬がいた.もっと考えようは無かったのだろうか.……ま,競馬馬もたいした名前ついてないし,馬の名前なんてそんなもんなのかもしれない.

さて,ここでまきば園を出る.小岩井農場案内バスというのが11:30に出るのでそれに乗ろうと思ったのである.そういえば,このとき,さんざん「岩手山がどうのこうの」と言っていたが,どうやら噴火しただかおそれがあるだかで騒いでいたらしい.まったく知らなかったよ.

あ,そうそう.「小岩井」というのはもともと地名なのだと私は思っていたのだが,違うのだそうだ.創業者が「小野義真」「岩崎彌之助」「井上勝」の3人だったので頭文字を取ったのだそうだ.ここで誰を先にするかで揉めていたら笑える.

さて,案内バスに乗ると,車で来ていなくても労せずして乳業工場を見に行ける(金はかかるが.ただし,金曜日は乳牛工場は休み).しかし,ごく小さいものだったし,工事中だったりして大した物は見られなかった.

これだったら,札幌で雪印の工場を見に行ったときのほうが見がいがあった.まぁ,農場をグルリ1回りできたので良しとしよう.

さて,ここで私の金は切れた.昼飯さえ食えない.よって,盛岡を目指すべく出発することにする.途中の売店で小岩井駅への道を訊いたところ,いかにも「歩いて行くつもりか」という顔をされた.しゃぁないやん.

といっても,歩いていくというのが上策で無いのは良く分かっていたので,ヒッチハイクを試みる.……と,最初の1台目のおっちゃんにしてからがプ!とクラクションを一回鳴らして去っていった.

「なんかお前に迷惑かけたか,ボケ!」

人がまわりにいないのをいいことに思わず声に出していた……朝の時も思ったんだが,この辺ってヒッチハイクが許容されていないようだ.これが北海道ならまだマシなのに.

だが,捨てる神あれば救う神はある.売店で店員さんとのやり取りを訊いていたおっちゃんというのがいて,この人がすぐにワゴン車でやってきて拾ってくれた.感謝である.

まぁ,この人も「悪いけど,いつもだったら停まらなかった.たまたま聞いてたから停まったけど」という話だったので,やっぱりこの辺ではあんまりヒッチハイクというのが通用しないらしい.

ヒッチハイクにも礼儀はある.乗せてもらう代わりに話題を提供するのである.(そういえば,toschは乗せてもらった上におもいっきり寝てしまったと語っていたことがあるが,これは恩知らずと言うものである)

で,私が盛岡へお金を下ろすために行くことを知ったおっちゃんは,そっちに行くから盛岡まで乗せて行ってやる,と言ってくれた.願ったり,かなったりである.しかも,郵便局にまで横付けしてくれた.さんざん感謝したものである.

さて,首尾良く金を仕入れた私ではあったが,疲れていたし,さっさと田沢湖に行ってしまうことにした.日のあるうちに田沢湖駅につけたが,昨日の事がよっぽど痛かったのであろう,「迷った」などと思う前に人に聞き,バスにもちゃんと乗ってわりと早いうちにユースホステルに着いた.

ここのヘルパーさんはあまりおしゃべりが好きでないようで,ひたすら『炎立つ』を読んでいるような人だった.

が,このときの他の宿泊者が痛快な人たちばかりで,ほんとうに夜も更けるまで話しこんでしまった.こんなに会話が弾んだ宿泊も珍しい.Iさん,Aさん,K君,ありがとう,楽しかったです.

それから,YH のおとなしいゴールデンレトリバー(食事をしてると眺めに来る.別に欲しがっているわけではない)にもうまい食事にも感謝,感謝.

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1999年9月27日

やっと念願の温泉へ.さらに念願のジャジャ麺

まず,この日のうちに弘前に行こうと思っていたのがポイントではあった.

いや,本当はそこまで行けそうになかったら盛岡で泊まってしまおうかとも思っていたのだが,同室だったAさんに見せてもらった観光案内によると,弘前城は門や天守閣が残っている事が分かってどうしても見たくなり,さらには 弘前YHというのが城のすぐ近くであることから,ぜひにその日のうちに弘前に行きたくなったのだ.

だから,すべてはここから逆算しておく事から始まる.

旅慣れたIさんや私自身の予測により,弘前なら街だから田沢湖や雫石のように18時台でバスがなくなってしまうようなことはあるまい,さらに,私の考えで行くと,もしバスがなくなっても,城下町の常として駅から歩いて行けない距離に城があるとは思えない.

そんなわけで,まぁ弘前にだいたい21時にごろつけりゃいいだろうと考えた.

さて,その日は8:30,Iさん,Aさんといっしょに田沢湖一周サイクリングからはじめた.「龍子の像」というのが唯一の観光スポットらしい.実はそんなものがあることも知らなかったのだが.じゃ,なんで田沢湖に行ったかと言うと……いや,なんかボスが騒いでたからさ,それに,湖もたまには良いかと思ったからさ.ま,まぁ,ともかく出発だ.

YHの隣の国民宿舎で自転車が借りられる.乗り放題300円なり.安い.安いだけあってボロかったけど.

とちゅう,碑などがあるたびに眺めたりしながらのノンビリサイクリング.

龍子像は青い青い湖にスラリと金色の姿を見せていた.ここでAさんのカメラで写真を撮る.実は私は写真が嫌いなのだが,まぁ,その場の雰囲気を壊すこともあるまい.ここには名前も良くわからない体長15cmぐらいの青緑色の魚が群れになって岸に押し寄せていてびっくりした.

龍子像を過ぎてしまうとスポットがほとんどない.最後の坂がけっこうきつかったけど,なんとか完走.いや,帰るには完走するしかないんだけどさ.

それから水沢温泉に行く事にする.この辺で有名な温泉と言うのは乳頭温泉郷らしいんだけど,そこはちょっと遠いからその手前の水沢温泉にしておいた.露天風呂があるのも行きたかった理由.そうそう,Iさんは乳頭温泉に泊まろうと思って電話をかけたがどこもいっぱいで「どこが秘湯だ!」と憤慨していた.

11:30過ぎのバスで水沢温泉へ.水沢温泉のお湯は乳頭温泉といっしょなのだそうだ.行った所は入浴400円なり.お手ごろ料金だろう.白く濁ったお湯に浸かっているといかにも温泉に入っているなぁという気分になる.

さて,さんざんあったまって良い気分になったところで盛岡へGo!

14:02のバスで田沢湖へ,そこから14:37のこまちで盛岡へ.

私はフリー切符だったため気づいてなかったのだが,他の二人を見ていたら盛岡へ行くために730円の乗車券と720円の特急券を買わされていて憤慨していた.別に「こまち」でなくてもいいんだが,ちょうどいい時間に普通列車というものがないらしい.それを考えると,今回,さんざん新幹線に乗ってるから間違いなく元取ってるよなぁ.

盛岡の岩手公園(だったかな)の側にジャジャ麺のおいしい店があるのだとAさんが言っていたので,これまた3人で歩いていく.

着いてびっくり,行列してるのだ.お昼時などとっくに過ぎていると言うのに.

店内はとても狭く,人々はひしめきあって会話をする暇もあればこそ,黙々とジャジャ麺を食べている.連れ立って行っても別々に座るしかない.私は小を頼み,Aさんは中,Iさんは大を頼んだ.といって,私とりたてて小食というわけではない.(そんなこと言ったら,友人たちから突っ込みが入る)様子を見るに,多そうだったからだ,実際,Aさんはきつかったと言っていたし,Iさんは死にそうだったらしい.

風評を聞くに,ジャジャ麺はミートソースうどんというから,そういうもんを想像していたのだが,私が思うにこれは「味噌風味焼きうどん」である.

この店には手を伸ばせば届くところに生卵が盛ってあるどんぶりがある.他の人のやるのを見よう見真似して,でてきたジャジャ麺をホンの一口残して(残さなくてもいいみたいだった.好みの問題だろう)生卵を割り入れてかきまぜ,「お願いします」と言ってどんぶりを店員さんに差し出す.すると,具をちょびっと入れてくれてそこにゆで汁が注がれる.これがチータンというものらしい.やさしい味でうまい.

ちょうど食っているときに『るるぶ』の取材が来たのでびっくりした.

さて,ここでAさん,Iさんとは別れて再び一人旅である.といっても,ひたすら列車にのって弘前に行くしかないんだが.17:46のはつかりまで時間があったので待合室にいたのだが,面白いものを発見した.紙コップ回収機.これはいいものだね,うん.

青森着が20:00.それから20:16の弘前行きに乗り,弘前に着いたのが21:01.

実は,YHの人に電話をかけた時に「21時につくんですけど,バスありますかね?」と言ったら「ないと思うよ~」と言っていたので,歩くつもりだったんだが,どうも人が一方向に流れていく.会社員ばかりならタクシー乗り場か?とも思うんだが,学生もいるし,もしかしたら……

勘は当たった,まだバスがいる.

しかし,ガイドブックには3番から乗れと書いてあるのに行き先が変な気がする.時刻は差し迫っている.おそらく,ここで乗り遅れたらバスはない.私は躊躇せず,ガガッ,とステップに足をかけ,

「このバス,大学病院前に行きますか?」

と訊いた.

「いかない,6番だよ」

このとき躊躇しなかったおかげでちゃんと6番乗り場に行き,バスに乗ることができた.
あとで分かった事だが,今年に入って変わったのだそうだ.

さて,YHは分かりにくいところだったが,まぁ,地名が分からなくても道には強いのが私の特徴,特に迷う事もなく辿りついた.

ここで心ひそかに懺悔.

YH のヘルパーさん,電話で女の人だと思ってたらしっかり男の人だった.ごめんなさい,人のこと言えません.

ここの夜もそれなりに楽しかった.あと,やっとここで学会関係者に会わなくなった.(笑)

ヘルパーさんにとって笑い事でなかったのが,11時ごろ電話をかけてきて「泊めてくれ」と言っておきながら現れなかった奴がいたこと.やめるんなら連絡しろ.

気の毒であった.

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1999年9月28日

八甲田丸で目を潤ませている奴が1人

今日はちょっぴり早起きして弘前をブラブラしてから帰る予定である.弘前YHでは食事を用意していないので,時刻の融通が利く.

近くのコンビニによって食い物を仕入れたらブラブラと弘前城へ.実にいい散歩コースである.

弘前城はけっこう残っているものがあって,門や櫓は古い立派な代物である.天守閣のほうは最初の天守閣は建てて16年で落雷により焼失したのだが,その後再建したのが江戸時代であるから,まぁまぁ古い部類だろう.そして,その時代特有だが階段がえらい急である.ふと,ここから転げ落ちて死んだ奴なんていなかったんだろうかと思ったもんだが,どうなんだろう? 着物だしな.そして,公式には病死という事にして.

いや,馬鹿な想像はやめておこう.

さて,弘前城の近くに武家屋敷が残っている区画がある.(あ,江戸時代の商店もあったわ)

そこを見に行ってみたんだが,時刻が早すぎて開いてなかった.公開されている家は3軒あったんだが,その日は1軒しか開いていないようだった.

まぁ,時間も押している事だし,いったん YHに帰る.

あ,そうそう,YHでだべっていて「ねぷた」と「ねぶた」が違うのだという事を始めて知りました.1つ賢くなったぞ.

YHで絵葉書を書き,それを出してから長勝寺を見に行く.YHで同室だった人が「よかったよ~」と言っていたからである.

ここは,まぁ,藩主のお寺なわけなんだが,このあたりに同じ宗派の寺が集められている.なんでも城が落ちた時に第2の天守とするつもりだったらしい.このあたりの都市計画ってのは私の実家の辺りも似たようなもんなので,すんなり分かる.

長勝寺にはガイドさんがいるんだが,どこ見てるんだか分からない様子で(いや,見てなんていないんじゃなかろうか)立て板に水の説明をしてくれる.ちょっと待ってーな,と思うほど早い.

弘前は南部氏なわけなんだが,なんとかの宮様(忘れたよ)に嫁いだ人がいるそうで,その人の話もされた.

4年前までこのお寺には18で亡くなったという藩主のミイラがあったらしい.といってもだ,別にミイラにしようと意図したものじゃなくて,茶葉にくるんだりなんだりして丁寧に丁寧に埋葬したらそうなっちまったらしい.あとで発見してだしてみたら,綺麗な死体のまんまだった,という話.掘り起こしたのが昭和29年で以降は薬品保存していたんだが,遺族の希望により荼毘にふしたのだそうだ.

で,その写真を見たんだが,なんか生々しくて私は恐ろしかったです.

そんなこんなで弘前は切り上げる事にする.なんせ,帰りの指定は取ってあるもんだからちょっとでも函館に近くなってないと落ち着かない.んなわけで,とっとと青森へ.

が,青森についてみたら乗るべき電車が1時間後ぐらい.暇になったので青函連絡船メモリアルシップ『八甲田丸』へ.なんせ,青森駅はほんとに港に近いもんだから,歩いて10分というところである.

実は,青函連絡船に少なくとも2回は乗った事があるはずである.「はず」というのは1回目が2歳の時だったので覚えていないからである.ぜんぜんその旅について記憶がないわけではない.秋田あたりで「あきたーあきたー」とほざいていたこととか,列車の中でかけてもらったバスタオルはクジラさんだったとか,どうでもいいことは覚えている.あ,そういえば,そのタオル,まだ持ってるや.

とと,話がそれた.

2回目は小学校5年生の時で,これはさすがに覚えている.青函連絡船のシンボルマークの笑ったイルカ,これを見て非常に懐かしくなってしまった.ただ,どの船だったかは……うーん,ぶどうマークがついていたような気がするから『十勝』かなぁ……

さて,八甲田丸である.ぜんぜん人がいない.そりゃあ,平日だし,時期が時期だ.それにしたって,ねぇ? まったく採算取れていなさそうな事がありありと分かる.

ま,それはおいといて,だ.

この中に新聞記事が貼ってあった.青函連絡船の各船のその後をレポートしたものである.おもわずじっくり読んでしまい,泣けた.こういうのに弱いのである.ここでかなり時間を食ってしまい,全ての展示をちゃんと見ることができなかった.むぅ.

青函連絡船と言うと,必ず話題に上る大事故がある.そう,洞爺丸台風で知られる洞爺丸沈没事故である.時は昭和29年.今年の台風がそのときの進路と似ていたのでさんざんニュースでも名前を聞いた方も多かろう.

世界的に見てもタイタニックに次ぐと言われる大規模な海難事故.死者は1000人を下らない.実はこのとき函館港で難に遭っていた船は他に4隻あったのだが,客船であり,乗客を乗せていた洞爺丸が1番被害が大きかった.この事故が私にとって印象に残っている理由と言うのは.

母上がこの話をよくするからである.

母上は実は函館の(ひと)である.彼女は当時12歳,中学1年であった(彼女は早生まれである).

事故のあった翌日,友達と七重浜に見に行った彼女は(見に行くなよ……)海岸に遺体がごろごろと並べられている光景を見たそうだ.かろうじて戦中世代だし,ひどく死が近しいもののように思われる世代であるなぁと私は聞かされながら思ったものだ.

うん,それで,私はなぜか涙ぐみながら八甲田丸を回り,時間が差し迫っているのに気づいて慌てて出てきた.

青森駅でりんごジュースを売っていたおっちゃんが会釈してくれるのを横目に,あわてて電車に飛び乗った.

あとは帰るばかり.青森からが JR北海道の管轄になるらしいんだが,異様にていねいな案内が流れていた.

帰りついたのは夜遅く.やはり,札幌は遠い.

かくてさんざんフリー切符を使い倒した旅は終わった.

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