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2013年7月

2013年7月27日

族長の秋 他6篇(ガブリエル・ガルシア=マルケス)

新潮社のガルシア=マルケス全小説のうちの1冊.長編の『族長の秋』の他に短編が6つ収録されている.いや~,ボルヘス読んでからこっち読むと,ああ小説に帰ってきた!という感じがする(苦笑).

大きな翼のある,ひどく年取った男

突然に有翼の人が現れ,天使に違いないということになったのに,町の人はそのことにはちっとも驚いておらず,見物にやってくるだけという反応が面白い.だいたい,有翼の人もひどくみすぼらしくて高貴な感じなど全くないのだ.でも,外の反応を気にしない様子がまた超然としてる,と言えなくもない,かな.「かな」という印象になってしまうのは,やっぱりその老人が天界の者というよりも哀れみを受けるに相応しいよろよろとした態度だからだろうなあ.(でも,怒ると風は起こせるみたい)

彼が本当に天使かどうか調べるにあたり,話している言葉がアラム語に関連するかどうか調べるという下りがピンポイントに好き(言語フェチ).アラム語とかセム語とか言われるとヒョー!と滾る変わった人なのでそっとしておいてください.針の穴をくぐれるか,というのは聖書にある富める者が天国に入るのは、ラクダが針の穴をくぐるよりむづかしいのことかなぁ.

日常を見出していた天使はでも,新しい羽が生える頃にそわそわと旅立ちの兆候を見せだして,ついに飛んでいく.よろよろとした羽ばたきをエリセンダと共にほっと見送りたくなった.

奇跡の行商人,善人のブラカマン

語り手は大人しそうだったのに、最後まで読んでよく考えたらこの上ない復讐だった。なのに、始終普通のことのように語られるから、やはり淡々と読み終えてしまう。それだけ腹に据えかねていたということなんだろうけど。

幽霊船の最後の航海

何が起きたかあまり定かに感じられなくて、ともかく荘厳な船が軋み消える断末魔のイメージだけが残った。

無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語

あれ。ここにもブラカマン出てきた。ブラカマンって一般名詞なの?それともお遊びで引っ張ってきたの?

祖母は妖怪じみているんだけど、エレンディラもこの世の人とは思えない。そうだな妖精みたいだった。妖精と言っても可愛らしいのではなくて、大人びた気まぐれな妖精、自分ばかりを思う妖精、解放を願う妖精、そんな生物だったように思うのだ。

でも、最初からそうだったわけではなくて、怯えて震えて「わたし死んじゃう」と泣いていたエレンディラはとても可哀相だった。もっと早く祖母から解放されたらまた違っていたのかも知れない。

この世で一番美しい水死人

水死体が見つかりました、という話なのにちっとも悲惨ではない。戯れて遊ぶ子どもたち、勝手に盛り上がる女たちがほのかに面白くて童話でも読んでいる気分だった。

ちょっと『大きな翼のある,ひどく年取った男』に似た雰囲気で、日常と違った物が訳もなく現れて、でも誰もそんなには驚愕せずに日は流れ、時が来て現れた物は居なくなる。でも、『大きな~』とは違って、水死体が去って残された村は決定的に変わってしまう。それがまた穏やかに変わってしまって、なんだか幸せな気もするのだ。

愛の彼方の変わることなき死

この話は収録短篇の中でもかなり好きだ。自分の命運が分かっているこの時期に何もそんなことをしなくていいだろうにと思うけれど、でも、そこで選択せずにいられなかったのは、どうしようもなく侘びしく怖れてもいたからなのではないだろうか。彼女を欲することで、ひとり別れて行くことによけいに涙せずにいられなくなる。それが分かっているというのに、どうしても。

族長の秋

読んでてなんだか雑踏にいるみたいにざわざわするなぁと思いながら読んでいて、二章を読み出してしばらくして、章内に段落分けが無いことに気が付いた。それだけでも読みにくいはずだし、起伏がある物語でもないのに、なぜか黙々と読み続けていた。

強烈に悲しいのではない。ただ、ぼんやりと悲しい。正直、清廉潔白でもないし、愛国のためでもないし、そもそも冷酷なこともやっているのに、なぜか哀れみを感じる。

独裁者を求めたのは誰であり、なぜなんだろう。とても、この独裁者が権謀術策に長けているようには思えないし、カリスマ性があるとも思えない。なのに、長年に渡って維持される。それは、傀儡として使うべく祭り上げた大国が望んだのであり、取り巻きが望んだのであり、支配されている側の国民さえも現状の急激な変動を避けたくて望んだ。独裁者の死が事実になった時、人々は事実であることを望まなかった

独裁者はもはや制度であって、独裁者が誰であるかなど問題ではない。

読んでいて思い出したのは東西ドイツ統合後数年立ってからの東独でのドキュメンタリーである。昔の方が良かったと市民は言っていた。壁が壊れた(あまりに突発的で、壊れた、としか言いようがない)時の熱狂が過ぎ、東西格差がクローズアップされたその頃に。シュタージの実態がどんなものだったかは分からないけれど、自分には随分閉塞した社会のイメージがあったから、都合のよいところだけを切り出して見せた感慨に見えたものだ。物語中に示唆される現状の変革を望まない人達を感ずるに、東ドイツのことを思い出す。

国の基盤を他国に切り売りし、小手先の操作で金を作ることしかできなかった彼が有能だとは思えない。なのに、彼はその地位に留まり続ける。不思議だったのは、ホセ・イグナシオ・サエンス・デ・ラ・バッラとの関係だ。彼が現れた時、独裁者はむしろ操られているようにすら見えたのに、最後には独裁者の方が無傷で残った。あの、突如として無表情になり、なぜか残ってしまうところが彼の能力ではあっただろう。

英国の司令官に父に向かって手を挙げる者の末路がどういうものか、この国の主人になっても、これだけは忘れないようにと暗に服従を要求されて、その日が待ち遠しくて眠れなかった夜、激しい怒りを抑えた彼は、あとでお互いに殺し合いをやらなければならんという理由で、他の大臣や司令官から殺されることがない。そういった、狭間をじっとりと見て、縫うように、それでいて横暴に生き延びた。

作中、どうにも泣けたのは、親友とされた将軍の顛末である。自分は彼は裏切ってなかったと思っている。正しい人だったとは思わない。独裁者を守るということのみに注力されていたのだから。ただ、その権威を守り、身を守ってきたのは確かだったと思うのだ。信じるということは難しい。多くを持った者ほどそれが難しいのは皮肉である。

登場人物の中で唯一称賛したいのはベンディシオン・アルバラドである。彼女は何も変わらなかった。学は無かったかもしれないが、息子が本質的に大統領になる前と変わらないちっぽけなままだったのも分かっていて、死んでも埋めてもらう墓さえ持っていないと分かっていて、でも、ずっと変わらないままだった。彼女が変わらないのと同様、独裁者も彼女だけは生涯味方だと認識し、生涯愛していた。彼女に報いようと強引に聖人にしようとしたけれど、それを彼女が望んでいたとは思えない。間違いなく笑い飛ばしただろう。独裁者が報いようとした結果が、塵となった死骸の断片だったことが、物語中の一番の悲劇であるように思う。

そうして、権力を持たないのに命令し、栄光を与えられないのに称賛され、権威をそなえていないのに服従されることに、なんらの感慨も覚えなくなって、伸されて薄っぺらくなった生を行き終えた老人が居なくなり、歓呼の声を挙げた民衆は、その後、どうなるのであろうか。東独の一部民衆のように、この老人の時代を懐かしがる者の出る、変革の苦しみを、彼らもまた味わうのではないだろうか。

族長の秋 他6篇

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